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<W解説>朝鮮通信使船の復元船が対馬に入港=約200年越しの海峡越えに日韓交流活性化への期待

2023/08/02 10:51入力

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江戸時代に朝鮮半島から派遣された使節団「朝鮮通信使」の復元船が1日、当時の寄港地だった長崎県対馬市に入港した。約200年ぶりに韓国で復元された木造船で、日本に来るのは初めて。同市では今月5、6両日に「津島厳原港まつり」が開催予定で、復元船は船上で市民に通信使船について解説したり、韓国伝統公演などを披露したりする。復元船の渡日による、さらなる日韓交流の活性化が期待される。

朝鮮通信使は朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団で、江戸時代には12回にわたり日本を訪れた。広島県呉市下蒲苅町にある朝鮮通信使資料館を中心に、下蒲苅地域の歴史文化や特産品を紹介するサイト「朝鮮通信使ナビin呉市 しもかまがり」の解説によると、当時、朝鮮通信使は将軍の代がわりや慶事の時に、朝鮮国王からの国書を持って来日したり、将軍の返書を持ち帰ったりするなどの目的で朝鮮のハニャン(漢陽、現在のソウル)と江戸(現在の東京)を行き来した。2000キロ弱(往復約3000キロ)の長旅で、海上では、日本側から迎える船などで大船団となり、陸上では日本側の警護などの人数を合わせると2000人にもなる大行列となったという。当時、日本で朝鮮通信使の行列を見物できる機会は一生に1度か2度だったため、街道には多くの見物客が訪れたとされる。

同サイトは「通信使の『通信』とは、『信』を通わすという意味であり、朝鮮通信使は、信頼関係に基づいた江戸時代の日本と朝鮮との平和交流であることにその意義があった」と解説している。

また、朝鮮通信使を行き来させた目的について同サイトは、日本側にとっては「朝鮮からの通信氏の来日に対する国を挙げての歓迎行事を通じて、日本の民に幕府の権威を強く印象づけることに加え、貿易による物資の交流や朝鮮の進んだ学問や文化を吸収するメリットもあったと考えられる」とした。また、朝鮮側の目的としては「豊臣秀吉の朝鮮侵略の経緯から、その当時日本に捕虜となった朝鮮人を連れて帰ることと、外交や日本の状況を把握するという目的があったと考えられる」と解説した。

500人余りの通信使の長は正使(せいし)と呼ばれ、副使(ふくし)、従事官を含めた3人が責任ある立場の三使と呼ばれた。正使は、朝鮮国王からの国書を江戸幕府の将軍に渡す重要や役割を担っていた。また、通信使の一行には、三使以外にも、書記や通訳、楽隊らも加わった。

通信使が担った善隣外交の歴史や、建造技術を後世に伝えようと、韓国・南西部のモッポ(木浦)市にある国立海洋文化財研究所は、史料を参考に2018年、朝鮮通信使を乗せた朝鮮通信使船を復元した。佐賀県立名護屋城博物館所蔵の「朝鮮通信使正使官船図」など日本の史料も参考にされた。復元された船は原寸大で、総トン数149トン、全長34.5メートル、幅9.3メートル、高さ5メートル。設計や船材調達などを含む建造期間は約4年で、建造費は日本円で約2億1180万円。

船は当初、両国の民間交流を背景に、対馬側の働きかけで2019年8月に来航するはずだった。しかし、当時の日韓関係の悪化や新型コロナウイルスの感染拡大を受けて渡航は見送られ、沿岸での試験運航や遊覧航海を重ねていた。

船は対馬で5~6日に開催される「対馬厳原港まつり」で披露されることになり、先月28日、釜山で航海の無事を祈る海神祭が執り行われた。そして1日午前、復元を手掛けた前出の海洋文化財研究所の職員ら約10人が船に乗り込み、釜山港を出発。同日午後、対馬市の比田勝港に入った。

韓国政府は、江戸末期に通信使の往来が途切れて以来、約200年越しの海峡越えだとして、日韓交流の活性化に期待を寄せる。対馬厳原港まつりでは「通信使行列」が4年ぶりに再現され、往時の衣装をまとった日韓両国の市民らが街を練り歩く。市民を対象に岸壁に停泊した復元船の乗船体験も行われる。釜山文化財団や海洋文化財研究所、対馬市、対馬厳原港まつり振興会の4者は、6月に協約調印式を開き、行事の準備を進めてきた。聯合ニュースによると、釜山文化財団のイ・ミヨン代表理事は「今回の行事は、外交使節団としての朝鮮通信使の意義を改めて伝え、文化を通じ平和を構築するという意味を込めている」と話している。




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