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<WK寄稿>一日に何回も死ぬ韓国人⁉

2022/10/11 16:21入力

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だいぶ昔の話です。日本が円高と景気がよかった頃で当然夜の接待華やかりしころの話です。接待が増えれば当然店も増え、店が増えればホステスの需要もうなぎのぼりで、赤坂の韓国クラブにソウルなどからきれいな女性が出稼ぎに来ます。

 中には観光ビザや留学生ビザできて不法にアルバイトしてる子(娘)もいるので、抜き打ちで出入国管理局から取り締まりがあったりしました。たまたまその様子をテレビで見た時の話です。

 補導された彼女たちはマイクを向けられ一様に「チャンピヘ/チュッケッタ=恥ずかしくて/死にたい」と言っていると字幕が出ていました。それを見ていた隣の日本の友達が“何も死にたいほどの事でもないのに…。”と。

 これは翻訳のミスで彼女らは“恥ずかしくて身の置き場がない”程度の意味でしたが、“チュッケッタ/死にたい”を直訳した為の間違いだと正しました。

 韓国語では“チュッケッタ”は“死にたい”という意味よりも、前の単語をオーバーに表現する自動詞として使われます。お腹ペコペコ=べゴパ・チュッケッタ、くたくたに疲れた=ピゴンへ…、嬉しくてしょうがない=キッポ…、とても悲し=スルポ…、会いたくてしょうがない=ボゴシッポ…と後にチュッケッタをつけます。

 この例からも韓国語は日本語よりも表現がきつく感情表現がはっきりしてます。これに反し日本語は「黙して語らず」「惻隠(そくいん)の情」「あうんの呼吸」と喜怒哀楽を抑えて出来るだけ角を立てない表現が好まれ、どちらかと言うと言葉は人との関係において潤滑油のように活用します。出来るだけ争いを避け相手のメンツを潰さず、場の空気を重んじます。そこが日本人の優しさです。

 が、韓国は基本的に言葉を日本より感情を「激しく吐露する」道具としてあるいは白黒をハッキリさせる(タジダ/是々非々)時に使われていますので、日本語の“やさしい”という語彙(ごい)を正確に表現する言葉を持ち合わせていません。

 物静かな日本に対しオーバーな表現になりがちなのは、半島と言う大陸と島国の通り道と言う厳しい地政学的な影響(代表的な例として大陸の蒙古が日本侵略の為、島国の日本が大陸進出のため清に攻め入る道筋として半島国が犠牲になった日清戦争)と儒教の性善説にのっとった考え方に由来しています。

 人間はもともとは善人であるがいろいろな影響で悪くなってしまったので、それを正すために上位者が教え導いてやらねばならないという使命感が儒教(朱子学)の教えにあります。ですから見ず知らぬ人でも道徳的に誤った人を見ると説教し正そうとします。

 例えば電車の中で若者が優先席に座ったりすると年寄りが説教します。日本の人が見たら“小さな親切大きなお世話だ”と思うかも…。

 最近は言われた方もプライドがあるので自分の正しさを主張しますので自然と言葉がエスカレートしてオクターブが上がります。

 また儒教は“人間誰でも努力すれば上昇できる”という楽観的な希望を抱かせますが、皆が皆、頂点に立てるわけではありません。成功者はごく一握りの人に限られますので、それ以外の多数者はその望みを絶たれて体内に鬱憤(うっぷん、ハン/恨)が溜まり、その分だけ感情的になり言動も激しくなってしまうのです。

 日本の映画やドラマを比較するとよくわかります。韓国の方が喜び悲しみ怒りなど感情の表現がオーバーです。あるセミナーで日韓のドラマを作った時のエピソードが記憶に残っています。日本のプロデューサーいわく「殺人のシーンを撮る時、日本は静かに行う方だが、韓国は派手に殺さないと観客が満足しない。葬儀の場面でも日本人はじっと悲しみををこらえるが、韓国人は悲しみを派手に嘆き泣きわめかないと気が済まない」と。

 感情を抑えて取り乱さない美学と喜怒哀楽をストレートにぶつける感情表現。

 今更、昔言い古された“近くて遠い国”というフレーズが思い起こされました。福岡から釜山まで飛行機で40分という近さなのに…。

※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。




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